2年間のオーストラリアワーホリを終えて今思うこと

オーストラリアでのワーホリ振り返り

2016年5月〜2018年3月までオーストラリアで生活していました。
当時のことや今の気持ちを書き留めておきたいなと思い、この記事を書いています。
個人的な思い出を振り返っているだけではありますが、これからワーホリに行く人のヒントになれば幸いです。

ワーホリ生活は十人十色ですが、わたしの目的はこれだけ。

  • 海外旅行で困らない英語力をつける
  • オーストラリアをラウンド(旅行)する

この2つはちゃんと実現。
でも、思い描いていたワーホリ生活とはまったく違うストーリーになりました。

当初は1年だけの予定で、とりあえず語学学校で友達つくって、サンシャインコーストあたりのカフェで働きながらゆっくり過ごそー♪と考えていたし、ファームでは絶対働きたくなかったのに……

サンシャインコーストにも住まなければカフェでも働かなかったし、
ファームで働いてセカンドビザまで取ったよ!

全く計画通りにいかないワーホリだったけどそれがまた楽しくて、ファームでの仕事、バッパーでの共同生活、車を買って旅したこと、2年いたからこそできたことや出会えた人がたくさん。もちろん辛いこともあったけれど、後悔はまったくない。この2年で少しはたくましく成長できたかなと思います。

では、細かく振り返っていきます。

目次

ワーホリ1年目

アデレードでホームステイ

5月、秋のアデレード

最初の都市はアデレード。
住む場所は現地で見てから決めたかったのと、慣れない環境で勉強と家事を両立できる自信がなくて、1ヶ月間は一人暮らしのおばあちゃん宅にホームステイ。

なぜアデレードを選んだのかはこちら。

本当に住みやすくておすすめの街なので、悩んでいる人はぜひ選択肢に入れてほしい!

ホームステイは賛否両論・当たり外れあるけれど、自分の場合はしてよかった。
到着してすぐに銀行口座の開設やスマホ購入、シェアハウス探し、バイト探し等々、やることがありすぎたし、ホストマザーいなかったらとても生活できなかったと思う。

物件探しなんて日本でさえやったことないのに、それを英語でやるんだから超大変。
日本だったら電話すればすぐ済むことでも、電話だと相手が何言ってるか聞き取れないから仕方なくメールでやり取りして、そのメールでさえ理解が難しい時もあって。何度も心が折れそうになった。

でもそんな時はホストマザーが助けてくれて、頼れる人が近くにいるホームステイでよかったと心から思った。

とある日の夕食はチキンの丸焼き🍗

留学生の受け入れに慣れていて、よく気にかけてくれたし、学校初日は一緒にバスで学校まで行ってくれたほど。
わたしとホストマザーの2人暮らしだったから、コミュニケーションの時間がたっぷり取れたのも良かった。

もっとシティに近ければずっとホームステイでもよかったくらい。
シェアハウスに移ったあともホストマザーとは連絡を取っていて、帰国するまでの2年間で何度か会いに行った。

語学学校で友達づくり

語学学校の友達とBBQ

オーストラリアに着いてすぐ語学学校へ。
渡豪前、ちょうどオーストラリア政府観光局さんで「語学学校で4週間の英語コースをプレゼントするキャンペーン」をやっていて、応募したらなんと当選!せっかく行くならと、ワーホリビザで通える最大の4ヶ月行くことにした。

語学学校に通ったのは大正解。
国籍・年齢・クラス関係なく学校のみんなが仲良くて、学校帰りに飲みに行ったり、休日は公園でBBQしたり、毎日本当に充実してた。

最初はコミュニケーション取るのがやっとだったけど、英語力が上がっていくにつれて色々な話ができるようになっていって。国や文化が違っても悩むことは同じなんだなーとか、日々発見があって面白かった。

3〜4ヶ月で帰国したり他都市に移動する人が多かったから、だんだん友達がアデレードからいなくなった時は寂しかったな。ワーホリ中に出会いはいっぱいあるけど、語学学校でできた友達はまたちょっと特別。

授業終わりに友達とパブで乾杯🍻

一方で、授業では苦しい思いも。

英語以前に自分の意見を持っていなかったから、授業でなかなか発言できなくて、もどかしさを感じてた。
周りの積極さに圧倒されっぱなしで、クラスにアジア人が1人だけの時は、わたしだけあまりにも発言しないから先生が気を遣って話を振ってくれたりもした。

英語力が予想以上に伸びず、なかなかクラスアップできないのが悔しくて悔しくて、この時はじめて本気で英語を勉強した気がする。

数年前からオーストラリアに行くと決めていたのに、ちゃんと英語の勉強をしてこなかったことを後悔。
せっかく語学学校に通うなら、できればHigher Intermediate(中上級)クラス以上で学ばないと、結局知っている文法やフレーズしか習えなくてもったいないなと思った。

日本食レストランでアルバイト

日本食のまかない🍣

学校に慣れてきた頃、バイト探しを開始。
アデレードは他都市に比べて仕事を見つめるのが難しいと聞いていたから心配だったけれど、運よくジャパレスのオーナーと知り合えてすぐに働かせてもらえた。

あの英語力の低さでよく雇ってもらえたなと思う。オーストラリアでの仕事探しは、本当に人脈と運にかかってる。
周りでも英語力高くても仕事ない人はずっとなかったし、その逆も然り。

ジャパレスというと日本人だらけで低賃金のネガティブイメージが強かったけど、わたしが働いたところはそんなことなくて、お客さんは地元のオージーばかり、日本人スタッフはみんな英語ペラペラ。
日本人同士でも英語で話していて、レベルの高さに戸惑った。

お客さんが何言ってるかわからなかったり、自分が話す英語が通じないことなんて日常茶飯事。
日本でバイトしてたときには卒なくできていたことが、「英語で」となるだけで何もできなくなる。
それでも半年働いて、英語での接客経験は自信になった。

ジャパレスで働くとまかないで日本食をいただけるのが最高!

多国籍シェアハウスで生活

シェアハウスのキッチン🏠

ホームステイの後は、アデレード郊外のシェアハウスに引っ越し。
韓国人夫婦、マレーシア人、タイ人、シンガポール人との共同生活。
みんな同じアジア人ということもあってか、文化や生活スタイルが似ていて居心地がよかった。

わたしだけ英語が話せなかったから迷惑かけたと思う。
でもみんな優しいからゆっくり話してくれて、わたしの英語が間違ってたら訂正までしてくれて。日常会話で必要な英単語や文法は、ほぼこのシェアメイトから習ったと言っても過言ではないくらい、毎日勉強させてもらった。

ホームステイといいバイト先といい、いい人に恵まれすぎてて運使い果たしたんじゃないかって心配になる。

タスマニアでファームの仕事

タスマニアに広がる風景

セカンドビザを取るためタスマニアへ。

もう1年いようと思ったのは、1年じゃ英語力はあまり伸びなかったのと、オーストラリア内を旅するのに時間が足りなかったから。アデレードの居心地が良すぎて、長く滞在しすぎちゃった。

タスマニアを選んだのは、単純に一度行ってみたかったのと、悪徳ファームが少ないと聞いたから。
日本から旅行では訪れにくい場所だから、ワーホリで長期滞在しているうちに見て周りたいなと思った。

この時は想像もしていなかったけど、まさかこれを機にファームやファクトリーを転々とすることになるし、ここで出会った韓国人と国際恋愛することになるとは…

ほんとに人生何があるかわからないね。

ロンセストンのベリーファームで2ヶ月、ホバート近くのサーモンファクトリーで1ヶ月働いた。

はじめてのファーム、はじめてのテント生活、はじめての車購入、はじめての海外での年越し。
はじめて体験することが多かったタスマニア。
潔癖症・人見知り・食わず嫌いという最悪な3拍子揃いなわたしも、大自然タスマニアでのサバイバル生活を経てタフさが身についた気がする。

ワーホリ2年目

僻地のファクトリーで働く

地平線に広がる朝焼け

2017年3月、セカンドビザを申請できる日数働いたあと、タスマニアから本土へ移動。

せっかく時給が高いオーストラリアにいるならと、次は「稼ぐ」のを目的にコットンファクトリーで働くことに。クイーンズランドとニューサウスウェールズの州境にある、電波すら飛んでいない超田舎での暮らしが始まった。

このファクトリーは夜、12時間勤務。
稼ぐためとはいえ、もともと単純作業は好きじゃないからしんどかった。
お金のため、4ヶ月だけ、と割り切って頑張ったけど、やっぱり稼ぎよりもやりがいのある仕事じゃないとダメだった。

コットンファクトリー

町にも職場にも日本人がいなくて、英語力が一番伸びたのは間違いなくこの時だけど、日本語が話せない環境が苦痛だった時期でもある。まったく母国語を話せないことがこんなにも辛いのかと。

自分だけ話し相手がいなくて、周りのバックパッカーは母国語で話しているのを見ると無性にイライラした。
もし自分が英語ペラペラだったらこんな思いはしなかったのかな?
でも、自分が伝えたいことを100%理解してもらえないのって想像以上に寂しかったです。

ロードトリップ

Byron Bay

2017年8月、ロードトリップスタート!
東海岸沿いをブリスベン、サンシャインコースト、フレーザー島、ゴールドコースト、バイロンベイと旅行。

オーストラリアは冬だったけど、この辺りは温暖でロードトリップに最適だった。
 
その後もシドニー、キャンベラ、メルボルンと南下。
グレートオーシャンロードとアデレードを通り、最終目的地のエアーズロックへ!

Aers Rock / Uluru

テント泊しながら、12日間の旅。
長距離運転は大変だったけど、こんなにゆっくり貧乏旅行できるのもワーホリならでは。
アデレードとアリススプリングスの中間にある「クーバーペディ」という地下都市にも車でないと行けなかったから、いい思い出になった。

ブリスベンからここまで、2ヶ月くらい旅をしていた。

最後はまたアデレードで

広大なオーストラリアのロードトリップ

その後、しばらくタイと韓国を旅行し、日本に一時帰国。

オーストラリアに戻ってきたのは2017年12月のクリスマス前。ワーホリビザは残り4ヶ月半となっていた。

今度は西海岸をロードトリップしようかなと思っていた矢先、アデレードに置いていた車のエンジンがかからなくなり、その計画は断念。車を修理するにも、運悪くクリスマスと年末年始をはさんでしまったためアデレードから移動できず。
結局、残りの期間はまたアデレードで過ごすことにした。

あと数ヶ月しかいられないのに、大量の荷物を持って移動する体力も、新しい土地で仕事を見つける気力もなかった…

野生のコアラ🐨

できればパースにも住んでみたかったけど、アデレードにして良かったかもしれない。
やっぱり落ち着くし、第二の故郷だなって感じる。何より、ワーホリ1年目に出会った友達とまたアデレードで再会できた時は、本当に嬉しかった!

これがわたしの2年間。
振り返ってみると、アデレードに計1年、それ以外はいろんなところに住んで、旅して、結構転々としてた。

ワーホリしてよかったこと 

世界中に友達ができた

ブラジル人、イタリア人、フランス人、コロンビア人、韓国人、台湾人、サウジアラビア人、もちろん日本人も。
世界中に友達ができた。

”日本の常識は世界の非常識”なんて言うけど本当にそうで、彼らと関わっているとそう思うことが多い。
新しい発見がある度に「そんな考え方あるんだ!おもしろい!」って違う価値観を受け入れられるようになった。

あと、世界で起きてることが他人事じゃなくなった。
友達の母国で自然災害があったりしたら、あの子は大丈夫かな?って心配になったり。何かニュースが出ると、歴史的背景まで気になって調べてみたり。

これから世界各国で会えるのが楽しみ!

サバイバル力が上がった

テント泊やロードトリップ、田舎での不便な生活を経験して、どこでも生きていける力がついた気がする。

寝袋さえあればどこでも寝れるし、水シャワーでも有難く浴びられるし、野外トイレでも大丈夫。
前は家で虫がでただけで大騒ぎだったけど、オーストラリアでは目が覚めたら枕元でゴキブリが死んでたり、ネズミが食べ物を荒らしてたりで、気付いたら退治できるようになってた。

サバイバル力が上がったというより、いかに日本で恵まれた生活を送っていたのかを痛感して、小さなことに幸せを感じられるようになったかも。

考え方が変わった

一番変わったのは、自信がついたこと。

異国の地で一人で生活したこともそうだし、オーストラリアで出会った人たちの生き方を見たら、年齢や世間体なんて気にせずまだまだ何にでも挑戦できる!って勇気をもらえて。
いわゆる「レールから外れる」ことが怖くなくなって、自分の好きなように生きようって思えるようになった。

そのほかの変化は

  • 度胸がついた
  • 物欲が減った
  • スーツケース1つで生活できるようになった
  • ベジタリアン思考になった
  • 生き方の選択肢が増えた
  • 自分の幸せに気付けるようになった
  • 世界中のできごとが他人事ではなくなった
  • 歴史や宗教を学ぶようになった

でも、根本的なことは何も変わってない。
海外生活したら価値観変わったとか、そんなことはないけど、以前より異文化や宗教を身近に感じたことで、多様性を受け入れられるようになったかな。

ワーホリで後悔していること

英語を勉強しておけばよかった

オーストラリアへ行ってから思い知ったのは、自分のボキャブラリーの少なさ。
単語さえ知っていれば、あとは耳が慣れれば聞き取れるようになるし、文法が間違っていたとしても言いたいことが伝わる。
とにかく単語だけでも覚えておくべきだったと後悔した。

スピーキングとリスニングは現地で練習すればいいとして、単語と文法は日本で一人でも勉強できる。
オーストラリアに行ってから日本でできる勉強をしたのはもったいなかった。

また、日本語訳の単語帳をオーストラリアで見つけるのは難しかったので、日本から持参すればよかった。

もっと働けばよかった

基本的に怠け者なので、仕事をかけもちしたり、毎日働くということがなかった。
働いていない時間をもっと勉強に当てたり友達と出かけたりすればよかったけど、1日ぐーたら過ごしてしまう日も多くて。
今思えばもう少し頑張れたなと思う。

あとは他にもカフェやホテル、ツアーガイドなどいろんな職業を経験してみたかった。

観光はあとからでもできるけど、こんなに自由に働けるのはワーホリビザだけなのに…!
出稼ぎにきたわけじゃないからってだらけてたとこあるけど、働かなかったこと後悔してる。

車をケチらなければよかった

もしまたワーホリができるのであれば、絶対に、高くても四駆を買う。

大きい車なら車中泊するのも楽だし、荷物もいっぱい置けるし、ガソリンも積めるし、カンガルーと衝突しても大丈夫!ロードトリップをした時、四駆しか通れない道がたくさんあって、四駆だったら行けたのになぁと思う場面が多々あった。

わたしは安い車を買ってしまったせいで故障したし、それで途中ロードトリップを諦めるはめにもなった。
車を買う時は値段で決めないことをおすすめします。

後悔していることを長々書いたけど、ワーホリで英語力は上がったし、お金も貯まったし、ボロ車でも事故なくロードトリップ楽しめたし、結果的には全部ひっくるめてよかったと思ってます!

これから行く人に伝えたいこと

ワーホリは一生に一度だけ。
旅行も留学も何歳になってもできるけど、ワーホリができるのは30歳まで。
異国の地で、同年代の人たちと、一緒に住んだり旅したり働いたり、自由に経験できるのは20代の今だけ。

渡豪前は、帰国後に再就職できるのか、結婚できるのかとか不安に思っていたけど、そんなの馬鹿馬鹿しいと思ってしまうくらい、なんともなかったです。あのまま変化のない日々を過ごしていたと想像するほうがゾッとします。

もし今、この記事を読んでくれたあなたがワーホリに行こうか悩んでいるのなら、、全力で背中を押したい。

経験は無駄にはならないと思うし、行ってみて嫌だったら帰ってくればいいし、そのくらい気軽な気持ちでいいと思います。悩んでいるのに行かないほうが後悔するはず。
英語を話せるようになることで、世界中の人と話せるの楽しいです。

老婆心ながら、応援しています。

すごい長くなっちゃったけど、最後まで見てくれてありがとうございました!

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