もともと1年だけ滞在する予定だったオーストラリア。
- 海外旅行で困らない英語力をつける
- オーストラリアをラウンド(旅行)する
ワーホリの目的はこれだけ。笑
とりあえず語学学校で最低限の英語を学んで、いろんな都市を周遊して、あとはサンシャインコーストあたりのカフェで働きながらゆっくり過ごそう〜♪なんて考えていました。

サンシャインコーストにも住まなければカフェでも働かなかった。笑
全く計画通りにいかないワーホリだったけどそれもまた楽しかったし、ファームでの仕事、バッパーでの共同生活、車を買って旅したこと、2年いたからこそできたことや出会えた人がたくさん。この2年の経験がわたしをたくましく成長させてくれました。
2年間を振り返ってみる
ワーホリ1年目
【2016年5月〜2016年12月】
最初の都市はアデレード。
1ヶ月間はホームステイだったものの、到着してすぐシェアハウスを探し始めたり、銀行口座の開設やオーストラリア用のスマホを買ったりと大忙し!
ずっと実家暮らしで日本でさえ物件探しなんてやったことないのに、それを英語でやるのは超大変。日本だったら電話すればすぐ済むことでも、電話だと相手が何言ってるか聞き取れないから仕方なくメールでやり取りして、、そのメールでさえ理解すること・理解してもらうことが難しい時もあった。何度心が折れそうになったことか…(*_*)
ラッキーだったのは、すぐ日本食レストランのバイトをゲットできたこと!最低時給は守られているし、お客さんはオージーばっかりだし、ボスもワーカーもみんないい人。プライベートでもよくワイナリーやハイキングに連れて行ってくれました。働いてるのは日本人が多かったから困った時は日本語でフォローしてくれて、最初の仕事としてはとてもいい職場環境だったと思います。
語学学校にも4ヶ月通いました。
何年も前からオーストラリアに行くと決めていたのに、真剣に英語の勉強をしてこなかったせいで周りについていけず、5週間に一度あるレベルアップテストでも英語力が全然伸びていなくてしんどい思いをしました。悔しくて悔しくて、この時はじめて本気で英語を勉強した気がします。卒業前のテストで目標のレベルに達した時は本当に嬉しかった!
語学学校でできた友達は宝物です♡
国籍、年齢、クラス関係なく学校のみんなが仲良くて、BBQしたりバーに飲みに行ったり、毎日充実してました。最初はコミュニケーションを取るのががやっとだったけど、英語力が上がっていくにつれて深い話もできるようになっていったのがすごく嬉しかったです。
3〜4ヶ月で帰国したり違う都市に移動する人が多かったから、後半はどんどん友達がアデレードからいなくなって寂しかったなぁ。
この頃、韓国人夫婦、マレーシア人とタイ人のカップル、シンガポール人とシェアハウスに住んでいました。みんな同じアジア人ということもあってか文化や考え方が似ていて住みやすかったです。
何より有り難かったのは、この人たちがめちゃくちゃ優しくて、いつもわたしの英語を正してくれたこと!普通だったらわたしみたいな英語が話せないやつが一人だけいたら、話すのさえ面倒になると思います。今英語を話すときに使っている単語や文法はほぼこのシェアメイトから習ったと言っても過言ではないくらい、毎日勉強させてもらいました。
【2016年12月〜2017年3月】
セカンドビザを取るためタスマニアへ。ロンセストンのベリーファームで1ヶ月半、ホバート近くのサーモンファクトリーで1ヶ月働きました。
⇨ ロンセストンの時給制ベリーファームでの仕事
⇨ タスマニアで稼げるのはチェリーよりサーモンファクトリー!
はじめてのバッパー、はじめてのファーム、はじめてのテント生活、はじめての車購入、はじめての海外での年越し。はじめて体験することが多かったタスマニア。潔癖症で人見知りで食わず嫌いだったわたしも、この頃から人並みに生活できるタフさが身についた気がします。
⇨ タスマニアではじめてのバッパー生活
⇨ シグネットのキャラバンパークでテント生活
【2017年3月〜】
まだセカンドビザを申請するために必要な88日以上働けていませんでしたが、サーモンファクトリーよりも給料のいい仕事をゲットしたため急遽タスマニアを出てクイーンズランド州へ。1300kmの道のりを3日かけてゆっくり移動しました。
途中メルボルンから車で1時間のところにあるラズベリーファームで2日間だけ働かせてもらいました。これが最初で最後の歩合制の仕事だったけど、時給制に比べて全然稼げなくて、わたしには無理だなと思った。笑
⇨初心者女子ピッカーが歩合制ラズベリーファームでいくら稼げるか挑戦してみた
ワーホリ2年目
【2017年3月〜2017年7月】
クイーンズランドとニューサウスウェールズの州境にある電波すら飛んでない超田舎での生活。コットンファクトリーで夜12時間働いていました。
⇨ 日給450ドル!3ヶ月で200万円稼いだコットンファクトリー
町にはもちろん職場にも日本人がいなくて、英語力が一番伸びたのは間違いなくこの時だけど、日本語が全く話せない環境が苦痛だった時期でもある。英語環境を求めてはいたけど、完全に母国語を話せない状況が続くとこんなにも辛いのかと。
Wi-Fiがないから日本の友達や家族ともあまり連絡が取れないわたしに対して、周りのバックパッカーは母国語で話す相手がいたから、それを聞いていると余計にイライラしました。もし自分が英語ペラペラだったらこんな思いはしなかったのかな?でも、自分が伝えたいことを100%理解してもらえないのって想像以上に寂しかったです。
もともと単純作業が好きじゃなくて、ファクトリーで毎日12時間も働くのはしんどかったです。お金のため、4ヶ月だけ、と割り切って頑張りました。やっぱり稼ぎよりも、やりがいのある仕事がしたい。
【2017年7月〜8月】
オーストラリアのロードトリップスタート!ブリスベン、サンシャインコースト、フレーザー島、ゴールドコースト、バイロンベイを旅行。
8月からはコフスハーバーのブルーベリーファクトリーでパッキングとソーティング(仕分け)の仕事を始める。
が、数日だけ働いて辞める。ファクトリー内が寒すぎて耐えられなくて。時給24ドルで作業も簡単だったけど、8度の部屋で10時間も働くのはわたしには無理でした。
⇨ ブルーベリーは稼げる!コフスハーバーで週1000ドルの仕事
ひたすらブルーベリーを測るだけで時給24ドルって、今考えれば日本じゃそんな楽な仕事ないですよね。当時はコットンで稼いだ後だし、オーストラリアの物価に慣れてしまっていた気がします。もうファクトリーの仕事はうんざりと思っていたけど、もっと頑張って稼いでおけばよかった。笑
【2017年9月〜】
その後も南下し、シドニー、キャンベラ、メルボルンへ♪

更にグレートオーシャンロード、アデレードを通り、ついにエアーズロックへ!
テント泊しながら、12日間の旅。長距離運転は大変だったけど、こんなにゆっくり貧乏旅行できるのもワーホリならでは。行けてよかった!
アデレードに戻ってきてからは、ワインファクトリーの仕事をゲットするも2日間で辞め。笑
しばらくタイ、韓国に旅行し、日本に一時帰国しました。
【2017年12月〜2018年3月】
ワーホリ最後の半年をどこで過ごそうと考えていた矢先、一時帰国する際にアデレードに置いていた車のエンジンがかかりませんでした。
原因は車の鍵にあったのですが、原因がわかるまでに時間がかかり、運悪くクリスマスと年末年始をはさんでしまったためアデレードから移動できず。できればパース、もっと言えばダーウィンまで行きたかったですが、車が動くようになってからもいまいちコンディションが良くなかったため、泣く泣く売りに出しました。
結局、友人の助けで某有名寿司レストランの仕事をいただき、最後はまたアデレードで過ごすことに。この時はいろんなことに疲れ切っていて、もう大量の荷物を持って移動する体力も、新しい土地で仕事を見つける気力もなかった。笑
アデレードに戻ってきて、1年目に出会った友達と再会できた時は本当に嬉しかったです!
ワーホリしてよかったこと
【世界中に友達ができた】
ブラジル人、イタリア人、フランス人、コロンビア人、韓国人、台湾人、サウジアラビア人、もちろん日本人も。世界中に友達ができました。
”日本の常識は世界の非常識”なんて言うけど本当にそうで、彼らと関わっているとそう思うことが多くて、新しい発見がある度に「そんな考え方あるんだ!!おもしろい!」と違う文化や価値観を受け入れられるようになりました。
これから世界各国で会えるのが楽しみ♡
【サバイバル力が上がった】
テント泊やロードトリップ、超田舎での不便な生活を経験して、どこでも生きていける力がついた気がします。
寝袋さえあればどこでも寝れるし、水シャワーでも有難く浴びられるし、野外トイレでも大丈夫。前は家の中に小さい虫がいただけで大騒ぎだったけど、オーストラリアでは目が覚めたら枕元でゴキブリが死んでたり、バッグにネズミが入ってたりが日常で、気が付けば普通に退治できるようになっていました。
サバイバル力が上がったというより、いかに日本で恵まれた生活を送っていたのか、当たり前にあるものは当たり前でないことを痛感して、小さなことに幸せを感じられるようになりました。
ワーホリで後悔していること
【日本で英語を勉強しておくべきだった】
オーストラリアへ行ってから気付いたのは、自分のボキャブラリーの少なさ。単語さえ知っていれば、あとは耳が慣れれば聞き取れるようになるし、文法が間違っていたとしても言いたいことが伝わります。
スピーキングとリスニングはオーストラリアで練習すればいいとして、単語と文法は日本で一人でも勉強できる。オーストラリアに行ってから日本でできる勉強を必死でしたのはもったいなかったです。もっと勉強していたら語学学校でレベルの高い授業が受けられたのになーと後悔。

日本語訳の単語帳をオーストラリアで見つけるのは難しいので、日本から持参すればよかったと思いました。
【もっと働くべきだった】
基本的に怠け者なので、仕事をかけもちしたり、毎日働くということはなかったです。働いていない時間をもっと勉強に当てたり友達と出かけたりすればよかったんですけど、1日ぐーたら過ごしてしまう日も多くて、今思えばもう少し頑張れたなと思います。
あとは他にもカフェやホテル、ツアーガイドなどいろんな職業を経験してみたかったです。
【良い車を買うべきだった】
もしまたワーホリができるのであれば、絶対に、たとえ高くても年式の若い四駆を買う!
大きい車なら車中泊するのも楽だし、荷物もいっぱい置けるし、ガソリンも積めるし、カンガルーと衝突しても大丈夫!ロードトリップをした時、四駆しか通れない道がたくさんあって、四駆だったら行ける範囲も広がります。
わたしは1200ドルで買った2006年式のセダンに乗っていて、エアーズロックに行けたくらい頑張ってくれたんですけど、その後エンジンがかからなくなって行きたかった場所にも行けず悔しい思いをしました。買値が高くても良い車なら壊れにくいし、きちんとメンテすれば同じ値段かそれ以上で売れるので、これから行く人は値段で決めないことをおすすめします。
後悔していることを長々書きましたが、結果として英語力は上がったし、お金も貯まったし、最後は動かなくなった車でも事故なくロードトリップ楽しめたし、全部ひっくるめてよかったと思ってます!
帰国して変わったこと
物欲がなくなってスーツケース1つで生活できるようになった。ベジタリアン思考になった。度胸がついた。生き方の選択肢が増えた。自分の幸せに気付けるようになった。世界中のできごとが他人事ではなくなった。
でも根本的なことは何も変わってない気がします。
数年前にブログで「帰国後に再就職できるのか、結婚できるのか、色々不安はある」と書いていました。(世界一周に向けて)
帰国した今となっては、そんな不安まったくありません!
まだ就職したわけでも結婚の予定もありませんが、オーストラリアで出会った人たちの生き方を見て、年齢や世間体なんて気にせずまだまだ何でも挑戦できる!と思えるようになりました。行っていなかったらあのまま変化のない日々を過ごしていたかもしれません。
ワーホリに行って本当によかったのかなんて死ぬときにならないとわからないし、そもそも失敗とか成功とかじゃないと思うんです。異国の地で、同年代の他国の人たちと一緒に住んだり旅したり働いたり、自分の思うままに自由に、この経験ができるのは20代の今だけ。それがたとえしょーもない経験だったとしても、この先の人生の幅は広がると思います。
ワーホリは一生に一度だけ。
旅行も留学も何歳になってもできるけど、ワーホリができるのは30歳まで。このチャンスを無駄にしなくてよかった。
2年いてもまだ物足りないくらいオーストラリアが大好きになりました♡